富士の姿から気づいた本当の生き方

9月末、富士山の写真を沢山撮ってきました。

 

これほど本格的に富士を撮影したのは初めて。

身近すぎて、わざわざ写真に残す必要をあまり感じなかったのです。

 

でも、急に行きたくてしょうがなくなったんですよね。

世界遺産になって、改めて富士そのものを見直しながら、

自分も見つめる機会にしたいと思ったから。

すぐ決断しました。

 

車で早めに出かけて、

最初に精進湖、本栖湖。

西湖で少しゆっくりして

河口湖を通りながら、山中湖へ。

 

そう、富士五湖全てを回りながら、

富士を眺めてみたんです。

どの湖からも、その堂々とした姿に圧倒されて終わった一日でした。

 

一泊した次の日。

この日は、北口本宮冨士浅間神社を中心とした神社巡り。

 

特に素晴らしかったのは、

富士山二合目にある新屋山神社奥社。

 

別名金運神社として有名なこの地は、

まさに富士に抱かれたように感じる自然豊かな場所。

 

境内でしばらくたたずんでいましたら、

ザワッと風が。

まるで山が動いたように感じたのです。

 

ふと。

富士が迎い入れてくれたように感じたのです。

参拝を終えたあと、

何となく心が軽くなった感じがしていました。

 

そして最後に富士の素晴らしい眺望が拝める高台に。

すでに夕暮れ近く。

綺麗に裾野から頂上まで全て眺めることが出来ました。

 

写真を撮りまくった後、

その景色の素晴らしさに浸っていたところ、

この言葉を思い出したのです。

 

富士は考えない。

 

考えるものは富士を考えるが、

 

富士は考えない。

 

ただあるだけである。

 

詩人草野心平の傑作です。

そこに在りのままでいるだけ。

自分をそれ以上にも、それ以下にも見せず。

 

肩の荷が下ろせた気がしました。

 

自分が世に送り出したい作品を、

自分の「今」を等身大で表現するだけ。

一つ一つ丁寧に。

 

これは全てに当てはまりますね、

 

そんなシンプルなことを、

富士はその姿で気付かせてくれたのです。

 

本当の「自分を生きる」ということを。